元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ- Vol.6–元サッカー選手後藤史さん~前編~

Spportunityコラム編集部

 

「今度はちゃんと才能のあることをやろうと思ったんです」

現在の後藤史さん
現役時代の後藤史さん


~6回目~
後藤史(ごとう・ふみ)さん/29歳
サッカー選手→メンタルトレーナー(株式会社リコレクト)

(出典:Sports Japan GATHER「元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ- Vol.5 -元サッカー選手後藤史さん~前編~」2015年12月16日)

「私のサッカー人生は隙間産業。どうやったら生き残れるか」


2011年、FIFA女子ワールドカップドイツ大会。
決勝戦でアメリカとの激闘をPK戦で制した日本が、男女を通じて初優勝。“なでしこジャパン”の愛称は、その年の流行語大賞に選ばれるまでのいち大ブームとなった。

「サッカー選手として彼女たちのランクは、ひとつ上だと思います。あの時の優勝メンバーって、私がリーグで対戦していた選手たちなんですけど、技術レベルも、サッカー能力も“本当のプロ”。振り返ってみると、私たちの年代はまだ過渡期で、トップリーグにいろんなレベルのプレーヤーが混ざっていた時代だったかな」

後藤さんは三重県鈴鹿市出身。高校は女子サッカーの名門、宮城県の常盤木学園高等学校に進学し右サイドバックとして活躍。チームメイトの鮫島彩選手、田中明日菜選手とともに2年連続で全日本女子サッカー選手権準優勝を果たした。

さらに、早稲田大学では1年生でレギュラーに抜擢され、大学日本一を経験。在学時から、なでしこリーグ2部のジェフユナイテッド市原・千葉レディースに入団すると、すぐにリーグ優勝を果たし、チームを1部昇格させる原動力となった。

サッカー選手として、まさに一流の輝かしい経歴。
だが後藤さんは、自分自身をそう高く評価していない。

「私の家は、サッカーをやるのが当たり前っていう家でした。でも、中学のときリフティングが10回しかできなかったんですよ(笑)なぜかというとサッカーからずっと逃げていて。今、浦和レッズレディースのキャプテンをやっている妹(三知さん)がいるんですけど、彼女が昔から地元で有名で、そのコンプレックスだらけで、サッカーを素直にやるもんか、みたいな。でも、このまま逃げ続けてもダメだと思って常盤木に進学して、そこからしっかりサッカーをやり始めたんです」

のちになでしこジャパンの一員となる1年後輩の鮫島彩選手らはサッカーで入学した特待生。後藤さんは一般生からのスタートだった。

「だから最初からエリート意識が無くて、どちらかというと隙間産業で、私は生きていくしかなかった。とにかくボールの扱いがみんなより下手なんで“じゃあ、誰よりもたくさん走ろう”とか。自分のサッカー能力に自信が持てたことは、正直一度も無かったです。だから戦っているステージや肩書きでサッカーに対する自信を作ろうとしていましたね」
 

「大きい花火を打ち上げよう」

2010年スペイン女子サッカー1部リーグのラージョ・バジェカーノ


数年間で、なでしこリーグ1部でレギュラーとしてプレーするまでになった後藤さんが目指したのは、もちろん11年のワールドカップ。日本女子代表メンバーに入ることだった。

「ピッチでプレーしていると、代表メンバーとの差を肌ですごく感じるんです。だから“元々上手いプレーヤーではない自分が代表に選ばれるとしたら、何か大きい花火を打ち上げないと無理だろう”と。それで海外チームに行って、欧州でクラブナンバー1を決めるチャンピオンズリーグに出てやろうって決めたんです」

個人のツテを頼りにトライアウトを受け、10年にスペイン女子サッカー1部リーグのラージョ・バジェカーノへ移籍。日本人として初のスペイン女子リーグプロ選手となる。しかし、1年目はまったく試合のピッチに立つことができなかった。

「あんな境遇になったのは初めてっていうか、もうプレーが全然通用しなくて。自分でも“よくトライアウト受かったな”って思うぐらい(笑)。ベンチにも入れない状態がずっと続いていました」

最初はお客さん扱いをしてくれていたチームメイトも、シーズンに入ればライバル同士。しかも言葉が通じない後藤さんとは、次第に会話も少なくなっていった。練習では、ぶつかればふっ飛ばされ、ヘディングでは圧倒的な高さを思い知らされ、使えないとわかるとパスはもらえない。持ち味の運動量や走りも「サッカーで使われていなければ無意味」と一蹴された。

日本では「努力家」「ストイックな選手」という周りからの評価で自信を作ってきたことを思い知らされ、周りから評価をもらえなくなるとパスを呼ぶ声すら出なくなってしまった。入団から半年が過ぎたころ、後藤さんは“ここから、逃げよう”と考え始めていた。

「もう何にもしたくなくなって、人生で初めて練習をサボったんですよ。“私、最低だな。これ以上落ちるとこないな”って思ったらブワーって涙が出て。結果出していないヤツが練習サボるなんて、終わってるじゃないですか。そうして2日間過ごしたら、なんか自分のことを過大評価していたんじゃないかって気付いたんです。そもそもリフティング10回しかできなかったヤツが、いつのまにかミスするのも怖くなって、人に負けるのも嫌になって、周りからチヤホヤされないとダメな人間になってたんだなぁって」

その出来事をきっかけに「自分ができないことを受け入れよう。自分ができることをやるしかない」という気持ちが湧いてきた後藤さん。残り半年のシーズンで、サブとして何とかベンチ入りができるところまで、チームに居場所を作った。そしてスペインでの2年目…

「結局、元からの自分ができることだった走ることだったり、スピードだったり、今の自分のできることを積み重ねていったら2年目の最初からレギュラーがとれて。スペインに来る理由だったチャンピオンズリーグに予選からレギュラーとして出場できたんです」

11年10月、UEFAチャンピオンズリーグでイングランドの名門アーセナルFCレディースと対戦。チームはそこで敗れ、結果はベスト16だった。

「負けたけど、初めて心からサッカーが楽しいって思えた試合。初めて90分間自分によくやったなって思えた試合でした。その一方で、サッカーにずっと自信を持てなかった自分も受け入れたんです。そこからですね、引退のことを考え始めたのは」

その冬、日本に一時帰国したとき相談をしたのが、ジェフ時代からお世話になっていたメンタルトレーナーの森川陽太郎さんだった。

「『実はメンタルトレーナーをやりたいんですけど』っていう話をしたら、森川さんは『チームとの契約が残っているあと半年、プレーヤーとして結果を残すことと向き合い続けなければいけない。それと同時に必要な心理学の勉強をして、自分のサッカーでした体験と理論とを結びつける作業を同時にやっていって。そうしたら日本に帰ってきたときに早く現場に出れるから』って言ってくれて。OKってことだったんでしょうね(笑)。そこから半年、サッカーをしながら、心理学の勉強とスカイプで森川さんにレクチャーをしてもらって。そういう準備をしていました」

12年6月、現役を引退。森川さんの会社「リコレクト」に入社して、メンタルトレーナーの仕事をスタートさせた。(前編終わり)

11年10月、UEFAチャンピオンズリーグに出場。敗退後、引退を考え始めた


※データは2015年12月16日時点

記事提供:アスリートのための、応援メディア Sport Japan GATHER
https://sjgather.com/

(記事元:https://sjgather.com/magazine/201512161200/