野球は青春そのもの。希望に溢れる野球人を応援し続けていきたい

坂本洋子

「人生は本気があればいつからでもやり直せる―」

私は様々な『野球人』から大切なことを教えてもらった。そしてこれからもきっと、多くの感動をもらい、勇気づけられることだろう。

 

“涙を浮かべた姿”に心を打たれた

私はこれまで、アマチュア野球からプロ野球までまんべんなく観てきたと自負している。

野球が好きになったのは中学1年生の時。高校野球を引退した5つ上の兄がテレビで観ていた第79回全国高校野球選手権(甲子園球場)がきっかけだった。

その大会で強気な発言・態度から『ビッグマウス』と言われた平安高校(京都)のエース・川口知哉選手(後にオリックス入団→現在は女子プロ野球チーム・兵庫ディオーネコーチ)が、決勝で智弁和歌山高校に負けて“涙を浮かべた姿”に心を打たれた。

その翌年には、『松坂世代』と呼ばれる数々の名選手が大会に登場。その後数年間、毎年新聞記事をスクラップし、VHS(当時のビデオテープ)にほとんどの試合を録画して何度も見返すほど夢中になっていた。

こうやって文章を書いていると、まるで青春時代にタイムスリップしているような気分になる。野球というスポーツは、それだけ私の人生の中で大きな影響を与えてきた。

 

漫画『タッチ』の朝倉南ちゃんに憧れて


これまで私がどんな風に野球に関わってきたかを振り返ってみる。

中学を卒業すると、漫画『タッチ』の朝倉南ちゃんに憧れて、兄と同じ神奈川県の公立高校に進み、野球部のマネージャーになった。

学年でただ1人のマネージャー、責任の重さや体力の限界…現実は想像以上に過酷で、3年間ほとんどの青春を野球部に捧げた。
甲子園に行けるようなチームでは決してなかったが、部員たちは甲子園を目標にしていたし、私も同じだった。

“神奈川を制すものは全国を制す”とまで言われる激戦区の神奈川大会。私が3年生の時(2002年)は205校が出場していたが、ことし(2016年)は188校と、出場校がだいぶ減ってきてしまったことは寂しいことだが、毎年、開会式の時期になると胸がワクワクするのは今も変わらない。母校の試合結果の確認は夏の恒例行事だ。

 

“青春の続き”を楽しむ

私の野球愛はその後の大学時代も冷めることはなかった。むしろどんどん深みにはまっていく。

母校・法政大学では、スポーツ法政新聞会に入り、硬式野球部と準硬式野球部の取材を担当した。春と秋のリーグ戦をスコアを書きながら毎試合観戦。
ここで、私が最も感動したのは、甲子園で観た数々の選手が目の前でプレーしていることだった。これは“青春の続き”を楽しむ感覚だった。

大学野球という舞台は、高校野球よりさらに一段ハイレベルなプレーを楽しませてくれる場所だった。東京六大学野球以外にも、東都大学野球リーグや首都大学野球リーグなど、他のリーグ戦もよく観戦しに行っていた。完全に個人的な趣味で(笑)。

大学時代には東京ドームでボールガールのアルバイトもしていた。実はそれまでプロ野球にはあまり興味がなかったのだが(勝手なイメージで申し訳ないのだが、“お金稼ぎの野球”という印象があったからである)、すぐに夢中になった。
一見、華々しい世界だが、現実は厳しい。プロに行っても活躍する選手は一握りで、一軍と二軍を行ったり来たりする選手や、全く日の目を見ない選手だって多くいる。

プロ野球の裏側で、選手一人一人のプロ意識を強く目の当たりにした。どの境遇に置かれた選手も私には大きく輝いて見えた。
 

野球選手とアナウンサーは似ている


大学卒業後は、「野球のリポートがしたい」。その一心でアナウンサー試験を受け続け、福島放送(KFB)にご縁があった。

1年目から大好きな高校野球の取材をさせてもらえることになり、3年目には、甲子園球場へ出張に行き、福島県代表・聖光学院高校の取材とアルプススタンドリポートをすることもできた。私にとっては夢のような時間だった。

局アナ時代、プロ野球の取材をすることはなかったが、元プロ野球選手を取材することはあった。
アナウンサー4年目に移籍した静岡第一テレビ(SDT)で、“元プロ野球選手が学生を指導できる条件が緩和されたことにより、高校野球の監督への道が開けた”という内容の取材。プロ野球の世界から戦力外の通告を受けて、大きな挫折を与えた野球、一度は嫌いになった野球で、また新たな夢をつかもうとしているその姿に感動を覚えた。

野球選手とアナウンサーは似ている。私は地方局で7年間アナウンサーをし、現在はフリーアナウンサーとして活動させてもらっているが、アナウンサーにだっていつか戦力外の時期がやってくる。

生涯現役、一線で活躍する人はそれこそ一握りだ。だからこそ、好きな仕事をしていられる“今”を一生懸命に大切に過ごしている。

 

特に印象に残っている選手

改めて、私は野球が好きだ。理由は、「青春時代をすべて詰め込んだような存在」だから。

どのスポーツよりも観戦に割いた時間が多いし、野球を通じて大勢のひたむきな『野球人』と出会い、感化されてきた。野球と出会わなければ私はアナウンサーになっていなかった。

私には特に印象に残っている選手がいる。高校時代は神奈川の高校野球の名門校で活躍し、大学時代は東京六大学野球でベストナインをとるなど、順調な野球人生を送っていた。その後、社会人の強豪チームに進んだのだが…左ひざを骨折するなど怪我に泣き、チームを退団。会社も辞めた。一度はプロ野球を諦めかけたその選手が、次に選んだ道は…『四国アイランドリーグplus』だった。

結論から言うと、その選手は現在、プロ野球の道には進んでいない。個別指導で野球を教えている。彼は自分の意志で踏み込んだ四国アイランドリーグplusという舞台で、“完全燃焼”できたのだと私は思っている。野球を生徒に教えている姿は、活き活きと輝いて見えた。

 

四国アイランドリーグplus

 

四国アイランドリーグplusは、華やかな世界とは言えないのかもしれない。しかし、私のようなマニアック(?!)な野球ファンなら、そこでプレーしている顔ぶれを見て、胸が高鳴ることは間違いないはずだ。

元夏の甲子園・優勝投手でドラフト1位指名、その後4ヶ国9チームでプレーした正田樹選手(愛媛マンダリンパイレーツ)や、大学野球やプロ野球で観ていた牛田茂樹選手(徳島インディゴソックス・コーチ)がそこで頑張っていることが私としては嬉しいことである。

他にも甲子園出場選手や元プロ野球選手はいるし、逆に、四国アイランドリーグからプロ野球の世界に進んだ選手だっている。

有名なところだと、松坂世代でもある藤川球児選手(現・阪神タイガース)が2015年、MLBが自由契約となり、自らの意志で、出身地の高知ファイティングドッグスに入団したことは記憶に新しい。このとき、藤川選手は35歳。「地元の子どもたちに夢を与えたい」、有名選手のその決断はスポーツニュースでも大きく取り上げられた。
ちなみに藤川選手は、私が冒頭でも述べた野球を好きになったきっかけである第79回全国高校野球選手権大会に高知商業高校2年生時に出場、2回戦で川口選手を擁する平安高校に敗れている。

調べれば調べるほど面白い野球の世界。四国アイランドリーグplusにも大勢の人が注目してほしい。

 

夢を持ち続ける野球人にチャンスや希望を


夢を追う人の受け皿は多い方が良いに決まっている。

夢を叶えられたときの感動、失敗や挫折から学ぶこと、悔いを残さないまで一生懸命戦える場所…四国アイランドリーグplusは夢を持ち続ける野球人にチャンスや希望を、地域の人たちに元気を与えてくれる場所だと私は思う。

様々な舞台で野球人が切磋琢磨することで、日本野球界の底上げにも繋がるだろう。地方でレベルの高い野球が観られれば、人は集い、少年少女は夢を抱くだろう。
地域密着のプロ独立リーグならではの楽しみ方がそこにはある。

最後に、私には1歳になったばかりの息子がいる。
息子が生きる未来も多くの人がスポーツを楽しみ、夢や希望に溢れている…そんな世の中であってほしいと切に願っている。

坂本洋子
元福島放送、静岡第一テレビアナウンサー、現 フリーアナウンサー。2013年結婚。2015年長男を出産。1児の母。 ぐるなび目利きシリーズ『ippin』公式キュレーター、品川シーズンテラス『Shinagawa Days』公式Movieナビゲーター、マナカルkids『コミュニケーションプログラム』特別顧問、静岡朝日テレビ『たまごちゃん』MC。