【独立リーグとはなんだ?】 その6 角中勝也の果たした役割

広尾晃

独立リーグ出身選手がNPBで活躍することの意味 


前回も紹介したように、独立リーグの最も重要な目的の一つは「NPBや他のトップリーグに選手を輩出する」ことだ。
独立リーグで技術を磨き、試合で頭角を現して、NPBなどからドラフト指名されることこそが、独立リーグでプレーする選手の目的だ。
ただ、NPBやトップリーグに行くのは「最終目的」ではない。そこで「活躍」しなければならない。
例え、NPB球団に入団しても、試合に出場できなかったり、活躍できないままで消えてしまっては、成功したとは言えない。
独立リーグから送り込んだ選手が活躍しなければ、独立リーグそのもの存在意義に疑問が呈される。
「あそこのリーグの選手はNPBでは通用しない」というレッテルが張られるのはリーグにとっても死活問題になる。
独立リーグからNPBに行った選手に、独立リーグ関係者やファンがずっと関心を抱き続けるのは、彼らの活躍が、独立リーグの評価に直結するからでもあるのだ。
独立リーグは一番古い四国アイランドリーグplusでも12年の歴史しかない。まだ確固とした信用を得たとは言い切れないのだ。

 

 2006年、ロッテからドラフト指名された角中勝也

 
そういう意味で、四国アイランドリーグplusの評価を決定的にしたのは、千葉ロッテマリーンズ外野手の角中勝也だ。
角中は2006年の社会人、大学生ドラフトで、高知ファイティングドッグスから、7巡目で指名され、ロッテに入団した。
NPBからドラフト指名されたのは、2005年、愛媛マンダリンパイレーツから育成枠で福岡ソフトバンクホークスに入団した西山道隆、同じく愛媛マンダリンパイレーツから育成枠で広島東洋カープに入団した中谷翼に続いて、角中が3番目。
育成枠ではなく、支配下選手として指名されたのは角中が初めてだった。

 

 独立リーグに行ったのはラッキーだった

 
角中は2006年に日本航空第二高校から高知ファイティングドッグスに入団した。
高校時代は2年の夏は準々決勝で金澤高に敗退、3年の夏は小松工に2回戦で敗退し、甲子園には縁がなかった。
NPB球団のドラフト指名もなく、野球を続けるために、高知ファイティングドッグスのトライアウトを受けた。トライアウトの打撃では3打数無安打。角中自身は「落ちたかな」と思ったそうだが、当時のコーチが最後の一人として獲得することを決めたのだ。
高知ファイティングドッグスの当時の監督、藤城和明(元巨人・阪急・ロッテ投手)は、角中の積極的な打撃を高く評価し、高卒1年目にもかかわらず開幕から1番に起用した。
前後期合わせて89試合のうち、角中は85試合に出場、打率は.253、4本塁打と決して良くはなかったが、チャンスでの勝負強さ、気迫に満ちたプレーが印象的な選手だった。
角中は四国アイランドリーグの前後期優勝チームによる優勝決定シリーズであるリーグチャンピオンシップでの香川オリーブガイナーズ戦でホームランを打った。この試合をロッテのスカウトが見て、角中を指名することを決めたのだ。
この運の良さ、まさに「持っている」選手なのかもしれない。
角中は高知ファイティングドッグス時代、夜間練習をするなど野球に没頭した。NPBから来たコーチも付きっ切りで指導した。そうした努力が実を結んで、ドラフト指名につながったのだ。
あとから振り返って角中は
「社会人や大学に進んでいたら、ドラフト指名まで何年もかかっていたでしょう、独立リーグに行ったから僕は1年でNPBに行くことができたんです」と語っている。
はっきり目標を見据えて、直線的に努力したことが、予想外に早い夢の実現につながったのだ。
スカウトは角中の体の強靭さ、スイングの速さを評価したと語っている。技術ではなく「素材」「可能性」の高さを評価したのだ。


高知ファイティングドッグスの本拠地 高知市野球場


 じりじりと頭角を現す

 
こうして千葉ロッテマリーンズに入団した角中だったが、球団関係者によると、入団時点での打撃や守備、走塁のレベルは「お世辞にも高いとは言えなかった」とのことだ。
高卒から2年目、独立リーグで腕を磨いたと言っても、まだ即戦力とは言えなかったのだ。
角中は1年目には一軍初出場を果たすが、以後、4年間、シーズンの大部分を二軍で過ごすことになる。
しかし、二軍では優秀な打撃成績を上げるようになり、次第に頭角を現す。
2011年には外野を24試合守ったほか、DHでも21試合に出場、チームの有力な戦力となっていく。
2012年は二軍スタートだったが、4月14日に7番右翼で先発すると、翌日には2安打、4月の打率は.324、5月は.338と打ちまくり、交流戦では86打数30安打の打率.348で、交流戦首位打者を獲得。大いに注目され、オールスター戦にも出場した。
終盤、調子をやや落とした角中は、西武、中島裕之(現オリックス)と激しい首位打者争いを繰り広げるが、最終的に1厘差で首位打者に輝く。外野手として、ベストナインにも選ばれた。
独立リーグ出身の選手で、オールスターに出たのも、タイトルを獲得したのも、ベストナインになったのも初めてのことだ。
以後、角中はレギュラーの座を獲得し、パ・リーグを代表する強打者となっている。
本塁打は少ないが、好機で勝負強い打撃をする。内角に食い込む球を独特のスイングで打ち返す。また、悪球打ちでも知られ、ストライクゾーンを外れたボールにも食らいつく。
左打者だけに、もともと左投手をやや苦手にしていたが、2012年以降は右投手と同じように打つようになった。

二軍での抜群の成績

独立リーグ時代からのキャリアSTATS 二軍成績も含む

 
 

 
こうしてみると、角中はNPBの二軍、イースタンリーグでは圧倒的な成績を残していることがわかる。
通算打率は.314、ファームで好成績を上げ続けて頭角を現し、数少ないチャンスをものにしたのだ。
高知ファイティングドッグス時代の成績から、ここまでの選手になると想像した人は少ないのではないか。
 
ロッテの西日本担当のスカウトは、関西地区では阪神タイガースの影響が強すぎて、良い選手を見つけてもなかなか獲得できなかった。
そういうこともあって、誕生したばかりの四国アイランドリーグ(当時)に注目した。角中にとっては、それも幸運なことだった。
角中が2012年に首位打者になったことで、独立リーグ、とりわけ四国アイランドリーグplusの評価は高まった。
四国アイランドリーグplusはベースボール・チャレンジング(BC)リーグよりも球団数が少ないにも関わらず、NPBからドラフト指名された選手数は四国が49人に対し、BCは29人。これは、角中などNPBに行ってから活躍した選手が多いことが影響していると思われる。



千葉ロッテマリーンズの本拠地、千葉マリンスタジアム
 

千葉ロッテ、NPBを代表する選手に!

 
2016年、角中勝也は2度目の首位打者を取った。2012年以降、打率3割を打っていなかっただけに、フロックだと言われかねないところだったが、2回目の首位打者で改めて実力を知らしめた。今回は、143試合にフル出場したうえで、2位の日本ハム西川遥輝に二分五厘もの差をつけた圧勝だった。また最多安打のタイトルも初めて獲得した。
 
来季から、角中の背番号は「61」から「3」になる。今年引退したサブローがつけていた番号だ。本人は、下積み時代からの「61」には愛着があるようだが、サブローがそうだったように、角中もチームの顔になったのだ。
また年俸は8000万円から6100万円アップして1億4100万円に。独立リーグ出身で、初めての1億円プレイヤーになったのだ。
 
角中勝也の活躍は、本人の能力と、努力によるところが大きいのは言うまでもない。しかし、角中を見出し、チャンスを与えたのは独立リーグの高知ファイティングドッグスだった。
角中勝也は、その活躍で独立リーグの存在意義を世間に知らしめたということができるだろう。