32歳で脱サラして”マイナー競技”ヨットで東京五輪を目指す友人の話

鈴木蹴一

「俺、会社辞めて本格的に東京オリンピック目指そうと思うんだけど、どう思う?」

神奈川県から私の転勤先の大阪(当時)まで出向き、彼は私にそう投げかけた。決してあり余る資金があるわけではない中で、その話をする為だけに夜行バスで大阪まで出向いてきた彼の覚悟は、既に固まっていたのだろう。もちろん、それ以前から何となくそのような夢をもっていることを聞いてはいたのでそこまで驚きはしなかったが、それ以上に親友の固い決意に対し「No」とは言えなかった。

「良いと思うよ!応援するよ!」と口にする私に対し、「そう言って背中を押してくれると思ってたよ。」と彼からは安堵の声が漏れた。

ただ、「オリンピック出場を目指す」ということはそう生半可なことではなく、苦労や障害が多いことも容易に想像できたし、とりわけ資金面に関しては、勤めていた会社を辞めてとなるとそれなりの大きな負担になることは目に見えていた。

しかし、「もしその苦難を乗り越えられたとしたならば」と想像すると、その先に見える景色に私自身がワクワクしてしまったというのもまた事実であった。



 

ヨットとの出会いとオリンピックを目指すに至った経緯

渡邉真選手(以下、渡邉)は、当時32歳で勤めていたマリンショップを退職し、ヨット競技で2020年東京オリンピック出場を目指す事を決意した。国を背負うナショナルチーム入りの経験はもちろん、県を代表した経験すら無い渡邉は、「何て無謀なことを言ってるのかと思われるかもしれないけど」という前置きをした上で、両親を始めとした周囲にこの決意を口にしていった。

大学時代からヨット競技を始め、レース経験もほとんどなかった渡邉は、ただマリンスポーツに惹かれていた。

神奈川県平塚市の海沿いに生まれた渡邉は、常にマリンスポーツの存在を身近に感じていた。大学在学中にヨット部に入部した事や、卒業後すぐに就職せず、広島県にあるマリンスポーツの専門学校へ通うことを決めたのも、そうした意識があったためだろう。

専門学校卒業後は神奈川県逗子市にあるマリンショップへ就職することとなり、そこに勤める傍ら、趣味程度だがヨットを続けた。

そんな中、2013年に人生2度目のレースである、「全日本シーホッパー級選手権」に出場した。出場理由は明快で、勤めている逗子にほど近い「葉山」でレースがあったからというもの。ただ、そのレースに出場したことが、後の大きな決意に繋がることとなった。



2013年9月7日(現地時間)、あの感動的な「トーキョー」のシーンでお馴染みの、2020年のオリンピック会場が東京に決まった瞬間が訪れた。それは、渡邉が人生2度目のレースである2013年全日本シーホッパー級選手権2日目のことだった。

その瞬間、「地元でオリンピックが開催されるのはすごいこと!!」と興奮したが、そこに出場したいという思いが瞬時に湧き上がってきたわけではなかった。

意識の変化は、その数日後に訪れる。オリンピックが地元で開催されることで、一気にその華やかなステージが現実感を増した。そんな中、自身の不甲斐ないレース結果を振り返った時に、その華やかさと自分の現状がものすごく対象的に写り、そこに大きな悔しさがこみ上げてきたという。

「上位で走りたい。もっと強くなって誰にも負けたくない」その悔しい思いが、オリンピック出場を現実的に目指すきっかけとなった。

 

2016年はヨット競技にインパクトが与えられた年

ヨット競技は様々なクラスがあるが、そのほとんどがお世辞にも注目度が高いとは言えない。オリンピックに関しても、メダル候補選手が数人いる状態で大会を迎えるものの、なかなか大手のメディアで取り上げられる機会は少ないままだった。

今夏に行われたリオオリンピックでも、世界ランキング一桁台の選手が出場しているにも関わらず、その存在が取り上げられることは少なく、依然として知名度は上がらない。

しかしそんな中、2016年はヨット競技がインパクトを残す年となったのもまた事実なのである。その最も大きなイベントが福岡県で行われた『ルイ・ヴィトン・アメリカズカップ・ワールドシリーズ福岡大会』である。

「アメリカズカップ」は、世界最高峰の国際ヨットレースと言われ、参加チームは2年間をかけ「アメリカズカップ(優勝決定戦)」への挑戦権を得るための予選シリーズである「ルイ・ヴィトン・アメリカズカップ・ワールドシリーズ」を戦うというものだ。日本以外には、フランス、イギリス、ニュージーランド、スウェーデン、アメリカの各チームが参戦しており、その華やかなレースは見ているものを魅了した。

大会は地上波テレビで放映され、チケットは完売。地元だけでなく日本中から多くの方が会場となった福岡市地行浜(じぎょうはま)へ足を運んだ。この華やかな大会が日本で行われた背景には、あのソフトバンクの存在がある。ソフトバンクはこのマイナースポーツであるヨット競技に対し大いなるスポンサードを実行し、ヨット業界を盛り上げようとしているのだ。





 

スポーツをより身近にすることが個々のサポートを生む

個人が競技者としてスポーツに打ち込むためには様々な高いハードルがある。その中でも、最も大きなハードルが「資金」だといっても過言ではない。渡邉のように、勤めている会社を辞めアルバイトで食いつなぎながら競技を続ける選手もいれば、企業・組織に所属してそのサポートを受ける選手もいる。

だが、そのいずれも、”ただ競技だけやっていれば良い”というものではない。ある一定時間は”食っていく為”の仕事の時間があり、そちらにも精神をすり減らさなければならない。資金的な部分での負担が無く(あるいは少なく)競技に集中が出来る、いわゆる”プロ”として活動出来ている選手はあらゆるスポーツにおいてほんの一握りなのだ。

もちろん、プロになるためにはその資金を捻出してくれるスポンサーがいなければ成り立たず、ヨットのようないわゆる”マイナースポーツ”の競技選手にとってその状況に達する人は圧倒的に数少ないのが現実である。

体操競技の内村航平選手が、所属企業であったコナミスポーツを退社し、プロとして活動を始めるというニュースや、ケンブリッジ飛鳥選手が株式会社ドームを退社し陸上のプロとしての第一歩を踏み出すというニュースが先日流れたが、個人的にはかなりセンセーショナルだった。内村選手やケンブリッジ飛鳥選手クラスにならなければ、なかなか「プロになること」が難しいということでもある。(もちろんプロとして競技を続けていくこともリスクが大きく、よりシビアな状況であることは当然である。)

夢を持つことは誰しもが出来る。

ただ、その夢を叶える為に実際に行動に起こすには、想像以上にエネルギーが必要だ。その熱い想いだけではどうにもならないし、一人ではやり遂げることが難しいどころか、もはやそれは不可能に近い。だからこそ、周囲の理解やサポートが絶対的に必要になる。

上記のイベントのようにソフトバンクなどの大企業がスポンサードしてくれることはごくまれで、だからこそ大企業や大きな組織だけに頼るのではなく、各個人個人が気軽にサポートが出来る、そんな環境を作ることが今後の日本スポーツの発展に欠かせないのではないかと筆者は考える。

その為には、スポーツ自体やスポーツ選手をもっと身近な存在にすることが不可欠である。どのように選手個人が自身の価値を高められるか。周囲のサポートに頼るだけでなく、それぞれの競技者が各々で情報発信出来る時代だからこそ、自らがその必要性をきっちり認識し、そういった環境を作る努力を続けていく必要もまたあるのではないだろうか。